1877年-1881年は時代でいうと明治時代。
現在の石川県の人口の2倍弱くらいに人口が増えた時代でした。
増加した理由は、現在の福井県と富山県のかなりの地域が、石川県に加えられ、広大な地域になったこと、また間引きや身売りが少なかったということも理由と言われています。
また石川県全体ではなく、金沢市も日本最大の城下町として賑わっていました。1978年に金沢市は全国5位の人口となり、文化の中心地として発展を遂げました。
ただ、そんな状況は長くは続かず、低迷致しました。理由は3つ「もともと第一次産業の地域のため、工業化の勢いにのれなかった。」「次男、三男が工業や商いの仕事を求め東京や大阪に流れてしまった。」越前と若狭が福井県として、分かれてしまった。」です。
今でこそ仕事が多様になり、地方が再注目されていますが、ただ昔にすでにその地方の特色を生かした産業が活発で、今より地方が元気な時代があったということを覚えておきましょう。