金沢の三文豪
金沢には近代文学史で著名な3人の文豪がいます。徳田秋聲(とくだしゅうせい)、泉鏡花(いずみきょうか)、室生犀星(むろうさいせい)の3人です。地元では親しみと敬意を込めて「金沢の三文豪」と呼んでいます。
徳田秋聲
徳田秋聲は1872年2月1日(明治4年12月23日)石川県金沢市生まれの小説家です。尾崎紅葉門下。自然主義作家です。
「黴」や「足跡」という、2つの長編作品によって島崎藤村や田山花袋らと共に自然主義の担い手として確固たる地位を築きました。川端康成は「日本の小説は源氏にはじまって西鶴に飛び、西鶴から秋声に飛ぶ」と述べたほどの日本の文学に欠かせない作家でした。
また同じ弟子の泉鏡花は観念小説という作者の講義や主張が露わになっている作品を書いていて、事実のみを淡々と書くのを得意としていた秋声とは正反対の作風でした。
有名な作品
あらくれ
年頃の綺麗な娘であるのに男嫌いで評判のお島は、裁縫や琴の稽古よりも戸外で花圃の世界をするほうが性に合っていた。幼い頃は里子に出され、七歳で裕福な養家に引きとられ十八歳になった今、入婿の話に抵抗し、婚礼の当日、新しい生活を夢みて出奔する。庶民の女の生き方を通して日本近代の暗さを追い求めた秋声の、すなわち日本自然主義文学を代表する一作。
黴
自然主義文学の担い手の一人として明治初期から昭和初期まで活躍した作家、徳田秋声の長編小説。初出は「東京朝日新聞」[1911(明治44)年]。笹村というかけだしの若い作家と雇い婆さんの娘お銀との爛れた愛欲生活を描いた小説。生まれて来た子供や家、世間の問題を孕みながら、暗鬱な気分が作品全体を覆っている。作家秋声の名を高めた自然主義の代表作。
縮図
泉鏡花
泉鏡花は1873年11月4日(明治6年11月4日)金沢市下新町生まれの小説家です。
明治後期から昭和初期にかけて活躍。小説のほか、戯曲や俳句も手がけた。
尾崎紅葉に師事した。「夜行巡査」「外科室」で評価を得て、「高野聖」で人気作家になりました。
江戸文芸の影響を深く受けた怪奇趣味と、特有のロマンティシズムで知られ、近代における幻想文学の先駆者としても評価される。
また相当な潔癖症な面があり、「豆腐」という用字を嫌い、かならず「豆府」と書いていた。
有名な作品
高野聖
飛騨から信濃へ、峠道をたどる旅の僧が、山中の一軒家で一夜の宿を乞う。その家には美しい女と、その亭主が住んでいた。近くの流れに案内された僧は、女に体を洗われ、花びらに包まれたような気分になる。その夜、僧のまわりを無数の獣の気配がとりかこむが…。
外科室
明治後期から昭和初期に活躍した小説家、泉鏡花の短編小説。初出は「文藝倶楽部」[1895(明治28)年]。貴船伯爵夫人は、うわごとで秘めた思いを吐露することを恐れ、手術の麻酔を拒む。執刀医・高峰と彼女の間にある秘密とは。
夜行巡査
明治後期から昭和初期に活躍した小説家、泉鏡花の短編小説。初出は「文藝倶楽部」[1895(明治28)年]。職務に厳正な巡査・八田義延は、弱者も等しく罰する。深夜の巡回で、恋人・お香とその伯父に出会うのだが。
室生犀星
室生犀星は1889年8月1日(明治22年8月1日)石川県金沢市生まれの詩人・小説家。
名前は「むろう」「むろお」の双方の署名を用いていたため、現在も表記が統一されていない。
また金沢の学校の校歌の作詞を担当し、今も歌い続けられています。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの そして悲しくうたふもの」から始まる詩は日本人なら誰しもが知っているのではないでしょうか。
蜜のあわれ
金魚と少女の間を自在に往還するコケティッシュな「あたい」と、老作家「おじさま」の奇妙な交流。そして、そこにひそやかに訪れる「ゆうれい」の女性の影。会話のみストーリーが進んでいく変わった小説です。
杏っ子
野性を秘めた杏っ子の成長と流転を描いて、父と娘の絆、女の愛と執念を追究し、また室生犀星自らの生涯をも回顧した長編小説。晩年の名作。
あにいもうと
兄と妹の本能的な愛情の葛藤を描いた「あにいもうと」。2018年にはテレビドラマ化もされました。